ぐだぐだの日日

特に何のポリシーもなく、思いつきで始めました。 普段、漠然と考えていることを、根拠もなく無責任にテキトーに、ぐだぐだと書いています。なので、ご意見ご批判などは受け付けていませんのでご容赦のほどを(^^;)

こどもの時の疑問 時代劇

実は、こどもの頃、時代劇が大好きでした(^^;)
 
 特に「水戸黄門」が大好きで・・・たぶん、最初の10シーズン位は全話、見ていると思います。もちろん、再放送等含めてですが(^^;)
 
 なので、その後のシーズンでも最初の5分を見ると展開と結末はほぼ分かるようになりました。たぶん、子供の頃、うちが祖父母との同居世帯だったことが大きいのかもしれません。
 
 他にも、かなりいろんな時代劇を見ていましたが、特に「水戸黄門」が好きだったのは、意外と人が死なないんですよね(^^;)
 
桃太郎侍」とかも好きで結構、見ていましたが、最後は皆殺しなんですよね(^^;)悪い旗本とか老中とかを切るのは何となく許せます。悪い奴らは切られて当然ですよね。
 
 でも、その部下達は・・・ある意味、従業員というか、たぶん、親の代からそこに勤めているだけで・・・きっと彼らにも家族とかいるんだろうなとか思うわけです(-_-)
残された奥さんとか・・・ひょっとして、小さな子供とかいたらどううなるのかな?って考えていました。要は顔を見られたので、口封じに切り捨てたのかな?とか・・・
 
 ある意味、ゴルゴ13的な感じですよね?でも、その反面、やはり面白いと思ってしまう自分もいましたが・・・ただ、やっぱり・・・ちょっと腑に落ちないところも・・・でも、楽しい感じも・・・そう言えば「大岡越前」みたいな時代劇は苦手で、あまり見ていなかったような気もします(-_-)
 
 あと、「水戸黄門」の良い所は、痛快ですよね。権力(葵の印籠)と暴力装置(助さん角さん)を使い悪い奴をやっつけると言うか、最後に黄門様が「助さん、角さん、懲らしめてあげなさい!」って言って、すっと後ろに下がって、事が終わったら、前に出てきて「わっははは」となるわけで、子供心に「この役回りなら僕にも出来るかな?」って思った訳です(^^;)
 
 僕は助さんや角さんみたいには強くなれないだろうし、うっかり八兵衛みたいにはお調子者にもなれないし、弥七みたいに飛べないし・・・
 
 ところで、一つ目の疑問は・・・なぜ、歩いて旅をしているのに、行く先々で、黄門様ご一行と誰も気づかないのか?いくら何でも噂になるのでは?いくら江戸時代でも人の移動はあったのだろうから・・・と言うことですが・・・この疑問については、大学の時に議論好きの友達との会話の中である仮説を立てました・・・
 
 実は、黄門様は、ある意味「裸の王様」的な存在で、まわりが黄門様の「悪い奴らをやっつけたい」という欲求を満足させてあげるために、行く先々で地元の人も協力してストーリーを作って、お芝居をしてあげていたんじゃないのかな?と言うのが結論です。偉い人なので・・・ちょっと迷惑な感じですが(^^;)
 
 そうすると、意外と人が死なないこと、噂が広まって大騒ぎになっていないこと、助さんと角さんが強すぎること(いくら何でも、他の藩にだって、腕っぷしの強い侍はいるはず!日本は広いから!)と言う数々の疑問が解決するのです(^^;)この仮説だと・・・
 
二つ目の疑問は、またいつか・・・(^^;)

日本人と宗教と合理性

また、宗教の話ですが・・・日本では、宗教の話はタブーとされていますよね(^^;)

 例えば、僕がPTAとかの会合に行くって言うと、うちの奥さんは「いい!自慢話と宗教と学歴の話はしちゃダメだよ。」とか言うのですが・・・僕は「あまのじゃく」なので「嫌だ、全員の宗派と学歴を聞いてくる!」って言って出て行きます(^^;)

 ただ、実際に行くと「あなたは神を信じますか?」とか聞く勇気もなく・・・かといって、する自慢話もないので・・・結局、いいつけ通りになって、いつも悔しい思いをしています(^^;)

 ところで、なぜ宗教話はタブーなのか?世界をみれば、宗教を信じているのは当たり前で、そのことにほとんどの人は誇りを持っているみたいです。例えばフェースブックのプロフにも宗教信仰欄ありますよね(^^;)

 これは僕の個人的意見ですが・・・たぶんほとんどの日本人は本当の心の底では・・・神様の存在を信じていないのではないかと思っています。と言うのも日本人は世界の中でも類をみない合理主義者というか現実主義者だと思うからです。

 一例を挙げると、太平洋戦争でアメリカに「空襲」と言う名の大量虐殺をされて、原爆まで落とされて(まさに鬼畜米英)・・・戦後、こんなにアメリカ大好でいられるのは「過去の恨み」より「今の生活」を選ぶ現実主義的な選択ができる国民であるからなのではないでしょうか?これが日本人の世界に誇れる特性であり、発展の原動力だと思います。

 だから神様を信じるという非合理的非論理的な思考が理解できないのだと思います。そして、潜在的に神様を信じる人に対しての畏れがあるのだと・・・だから宗教と聞くと胡散臭く思えて、かかわりたくない人が多いのだと思います。

 ところが、これには一つ問題があって・・・僕は実は日本史はあまり好きではなく、受験も世界史選択だったのですが、(なんかそっちの方がかっこいい感じがして)

 でも東アジア以外の世界史は宗教を中心に動いているような気がして、常に宗教問題がついて回ると思うんです(-_-)

 これは、現在の世界情勢も同じで、宗教について考えるのを避ける傾向にあることが、日本人に国際感覚がないと言われる一因になっているのではと・・・個人的に思っています(^^;)

 ちなみに日本では、「八百万の神」といい、トイレにまで神様がいますが、これもどこにも神様なんていないと知りながら神様を利用して「子供のしつけ」をしたり、大きく言えば「社会の秩序」を保つための日本人的な合理主義の現れだと思います。

 また、キリスト教徒でもない人が平気でクリスマスやバレンタインを楽しむのを、何の違和感もなく許せる雰囲気があるのは極めて合理主義的で・・・僕は好きです(^^;)

つぶやき r>g

ピケティさん話をもう一つ


今、流行の r>g ・・・そう言えば・・・「>」の読み方を知らない(^^;)


忘れたんじゃなくて・・・たぶん、数学?算数的なことに興味がなかったから、最初から気にしてなかったのかな?う~ん、「rはgより大きい」って読むのも、なんか間抜けだし(^^;)それに・・・美しくないかな(^^;)


ちなみに今さら、調べるつもりはありません(^^;)

宗教と女の子

たまにはタブーな話題で、僕の宗教観について・・・あくまで僕の個人的な感覚で、他の人の考えを否定するつもりは全くありませんが・・・実は子供の頃から、なんとなくですが・・・神様の存在は信じていません (^^;)。
 
 でも、宗教にまるで感心がないかといえば、そんなこともなく、信じていないからこそ、信じている人達のことが不思議でしょうがないんです(^^;)
 
 最初に宗教について考えたのは 30年くらい前ことで・・・大学は違ったけど、バイト先で知り合った友達との会話がきっかけです。そいつは頭の回転が早くて口がうまくて、なんとなく気があう感じでした。
 
 ある日、渋谷のアンナミラーズでだべっている時に、将来の話になって・・・僕が「なんか楽に儲かる仕事ないかな?」ってつぶやいたら、奴は「あるよ!」って言うんですよ(^^;)
 
 僕「え、あるの??」って話ですが・・・
 
 僕「なになに?」、奴「宗教かな」、僕「宗教??」、奴「ボロ儲けで税金もかからないし、女だって思いのままだぜ!」 
 
 僕「本当に??」(前半よりも後半の方はどういうこと?)今もそうだけど、当時も女の子には縁がない日々だったので、さらに興味津々な訳で・・・僕「どういうこと?」
 
 奴はしょうがないなって感じで、奴「宗教団体に入る人って、人がよくて騙されやすいよね?」、僕「うんうん!」(お前みたいな奴は絶対に騙されそうにないな!)僕「それで?」 
 
 奴「宗教にすがるってことは、どこか傷ついていたり弱っている可能性が高いだろ?」、僕「まあ、そうかもね !?」、奴「騙されやすくて弱った女なら簡単に落とせるだろ?」、僕「どうかな?」、奴「わざわざ、探さなくても、そんな女が集まってくるんだぜ。まさに入れ食いだよ!」
 
 僕「なるほど!」(こいつ、むちゃむちゃ頭いいな!) 
 
 奴「でもね…」、僕「なになに?」
 
 奴「まず、宗教法人の資格をとらないといけないんだ(^^;)これが結構、難しくてね!」当時はオウム事件の前だったけど、やはり簡単ではなく、信者も 200人くらい集めないといけないみたいで・・・
 
 僕「200人か~」・・・(俺、友達も3人くらいしかいないし、あいつ等だって入るかどうか?それに人前で喋るのも苦手だし、嘘をつくのも下手だしな~)
 
 今でもそうですけど、嘘つくと目が泳ぐらしく、キャバクラとかでも指摘されます(^^;)
 
 その後の会話はよく覚えていないけど・・・今、考えるとあいつを教祖にして裏方になれば良かったのかな?僕は裏で姑息なこと考えるの、結構、好きだし・・・ それに奴の話し方は妙に説得力があったからな~ (^^;) 
 
 まあ、世の中、そんなに甘くないってことを知った青春の1ページでした。 そんな訳で、今でも、宗教って聞くとエッチなことを想像しちゃいます(^^;)
 
*文中に不適切な表現があるかもしれませんが、 30年前の学生の与太話なのでご容赦下さい m(_ _)m。なお、一切の苦情、ご意見等は受け付けていませんのでよろしくお願いします。(今後の投稿についても同じです (^^;))
 

イスラム国の非道

ひとりごと・・・
 
今回のイスラム国による邦人の殺害は極悪非道ですね。
 
 例えて言うと、世界が196世帯の村であったならば・・・この村には警察がなく、村長さんも村議会もなく、昔、大きなもめ事があった時に勝った5人組の了解がないと何にも決まんない状況な訳で・・・
 
 そんなある日、「ひのもと家」から遠く離れた村はずれの燃料屋さんで、ヤクザが暴れていて、通りかかかった、ひのもとパパが「ああいう輩は許せん。みんなでやっつけないと!」って言ったら、息子が殴られた訳です。ヤクザは「寝ぼけたこと言ってると、子供をボコボコにするぞ!」って言うわけです。
 
 家に帰ると・・・女房は「あんたが余計な事、言うから子供が殴られたのよ!安っぽい正義漢を出すんじゃないわよ。うちは関係ないんだから、見て見ぬ振りすれば良かったのよ!」って言うし、爺ちゃんは「お前はそれでも男か!なんで戦わないんだ!」って言うし・・・どうすればいいんだよ?ってところですかね(^^;)
 
じゃあどうすればいいのか?
 
 正義のためなら、苦しんでいる人がいるのだから、積極的に声を上げて、毅然と戦う姿勢を示す?・・・これは正しいことですよね?
 
でも、自分の家族を守るために見なかったこと、知らなかったことにする?別によその家の子が死んだって・・・関係ないって言えば関係ないし・・・この考えも間違いじゃないですよね?すべての生物は自然淘汰されるわけで・・・
 
 この村にも法律はあるみたいだけど、取り締まる警察官も検事もいないのだから、全ては腕力がものを言う「路上のルール」が支配する訳で・・・一番大事なことは「生き残ること」と言うのが唯一の真実なのでしょう(-_-)
 
 パパや爺ちゃんは、年だから喧嘩には行けないわけで・・・よその子を見殺しにするか?、自分の子を危険にさらすか?の問いに答えはないわけですよね(^^;)爺ちゃんも威勢はいいけど、自分が喧嘩するつもりはないみたいだし・・・
 
 ユーゴの時もソマリアの時も、今の北朝鮮についても苦しんでいる人を見殺しにしてきたわけで・・・石油が関係する時だけ正義漢ぶるのもアメリカナイズされていてグローバルスタンダードですが・・・とは言え、生き残るためには燃料が必要なので、分からないように、ヤクザと戦う人の両方にお金をあげると言うのが、今回の問題の正解でしょう(^^;)たぶん・・・
 
 美味しいお肉を食べるには、牛や豚を殺さないといけないのですが・・・僕は、かわいそうだからと言って、食べるのをやめるつもりは全くありません。
 
 でも、「牛さんや豚さんに感謝して食べなさい」とか言う人達や「僕は菜食主義者だから」って言って植物を殺す人達も苦手です(^^;)
 
この辺が、ウヨクとサヨクの人達の話を聞いていると、気持ち悪くなってくる原因なのかもしれません(-_-)

 

つぶやき 恐竜のしっぽ

最近、ちょっと笑ったこと・・・この前、テレビを見ていたら、近頃ではティラノザウルスとかの恐竜の絵が変わったそうです。

 僕が子供の頃はゴジラみたいに、しっぽを地面に着けている感じでしたが、今はジュラシックパークみたいにしっぽをピンとあげて歩いています。

 何故かというと・・・足跡の化石を見ると、しっぽを引きずった跡がないので、しっぽはあげていたと言う事みたいです。なるほど(^^)/

 でも、それって・・・最新の科学技術を使わなくても、感のいい人なら100年前でも分かりますよね(^^;)

 難しい顔した大学教授さん達も結構、間抜けなところがあるかと思ったら・・・ちょっと愉快です(^^;)