ぐだぐだの日日

特に何のポリシーもなく、思いつきで始めました。 普段、漠然と考えていることを、根拠もなく無責任にテキトーに、ぐだぐだと書いています。なので、ご意見ご批判などは受け付けていませんのでご容赦のほどを(^^;)

歴史妄想・秀吉の子供

 歴史ドラマとかを観ていて、時々思う疑問に「秀頼は豊臣秀吉の本当の子か?」というのがあります。下世話な話のせいか、あまり話題にならないのも不思議でしたが、ネットを見たら、結構、同じことを考えている人もいて・・・本当の父親も諸説あるみたいです。もしそうなら、「そいつ凄いな」って思います(^^;)。もし見つかったら、絶対に殺される中で、エッチしていたんだなと思って・・・

 それで、ここから妄想ですが、もし秀頼が不貞の子であるとして、それが「みんな知っているけど、絶対に言えない秘密」だとすると・・・いつも漠然と思っていた数々の疑問の説明がつくような気がします。

 「家康はなぜ関ヶ原で勝てたか?」・・・当時の家康の謀反に勝ち目はなかったような気もします。三成が嫌いだからと言って、加藤清正福島正則前田利長といった秀吉恩顧の武将達が先代の息子をなぜ裏切ったのか?毛利、島津といった一大勢力が家康を潰すチャンスなのに何故、動かなかったのか?そもそも何故、西軍の指揮官が石田三成なのか?当時の家康と三成では副社長と総務部長くらい格が違い、あり得ない対決です。これらは、秀頼に正統性がなかったとすると、ちょっと分かるような気がします。

 「大阪冬の陣まで、なぜ14年もかかったか?」・・・これも、豊臣恩顧の武将が、秀頼の正統性は認めないけど、豊臣家の滅亡には抵抗があったので、これらの勢力を排除するのに時間がかかったとすると分かる気がします。
 おまけで言うと・・・血統の正統性が大事だと感じたので、徳川家は「大奥」を強固な組織にして、血脈を守りたかったのではないかなって・・・?

 一人の男のスケベ心で、歴史が変わった?なんて妄想をしながら、歴史ドラマを観ると面白いと思います。(ちなみに勝手な、妄想で事実かどうかは分かりません(^^;)。)

 ちょっと、すっきりしないのは・・・秀吉はどう思っていたのか?ひょっとして、秀吉は疑っていたかも知れないけど、秀頼の母の淀殿は、お市の方の娘ですが・・・秀吉にとっては思い入れのある人物です。秀吉は秀頼を介してお市の方と繋がりたかったのではないか?などと妄想していると、結構、楽しいです(^^;)